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聖歌は生歌

聖歌は生歌

教会の祈り

このページでは、教会の祈りで、一番よく知られていて、歌われる、朝の祈りの賛歌である「ザカリアの歌」
( Benedictus Dominus )と、その、復活節固有の「朝は早く週の初めに」、晩の祈りの賛歌「マリアの歌」
( Magnificat )、読書で歌われる「賛美の賛歌」( Te Deum )をみてゆくことにします。

 《ザカリアの歌》
 【解説】
 『典礼聖歌』では、「神をほめたたえよ」の表題となっています。
 教会の祈りの中の、朝の祈りの福音の歌として歌われるのが、この「神をほめたたえよ」です。この賛歌は、ルカ福
音書1章68-78節、『聖書』(新共同訳)では、「ザカリアの預言」と見出しがつけられています。妻のエリザベトが身
ごもったことを主の天使ガブリエルから告げられたザカリアは、それを受け入れなかったので、口が利けなくなってし
まいますが、天使が伝えたとおり、洗礼者ヨハネの誕生で、その名前を書き板に「ヨハネ」と記したとたんに、再び話
せるようになります。その後、聖霊に満たされて歌った預言が、この賛歌です。
 西方教会では、5世紀頃から、朝の祈りの福音の歌(賛歌/Canticum)として歌われるようになりました。福音書の
78節にある「神の深いあわれみにより、夜明けの太陽はわたしたちにのぞみ」が、その根拠です。中世には、歌隊だ
けではなく、歌隊とオルガンの交唱(ヴェルセット)のような形でも演奏されるようになります。宗教改革の後も、聖公
会(英国国教会)やルター派をはじめとする一部のプロテスタント教会でも、今日まで歌われています。

 83「神をほめたたえよ」
 基本的に、主日・祝祭日用に作られたのが、この83番です。交唱の冒頭は、朝の祈りの唱和の最高音(第三唱
和)のC(ド)から力強く、高らかに始まります。各小節とも、ソプラノとバスが2オクターヴ+3度開く、『典礼聖歌』の
中では、特有の和音が用いられていて、福音の歌の力強さと、ザカリアが聖霊に満たされた様子が表されていま
す。ちなみに、年間の主日の場合、交唱は、B年のアレルヤ唱の唱句から取られています。本文、ザカリアの歌が歌
われる部分は、Fを中心にして、前半は下に、後半は上に動きますが、いずれも朝の祈りの唱和の範囲内です。
 84「神をほめたたえよ」(2)
 女子修道院で、同声三部で歌うために作られています。83より2度上に移調され、三声になっている以外、変わり
ありません。これが、合唱用の先駆けと考えてよいでしょう。
 85「神をほめたたえよ」(3)
 こちらは、週日用に作られました。主日用と比べると、音の動きが少なく和音も穏やかです。ただし、朝の祈りの唱
和の音の範囲内、という基本は83番と変わりありません。
 1「朝早く週の初めに」
 復活節、特に復活の主日用に作られたのが、この「朝早く週の初めに」です。交唱(『典礼聖歌』では「答唱」)の部
分は、日本語のイントネーションに合わせて、グレゴリオ聖歌、ソレム唱法に基づいて作られています。この曲に限
り、交唱は、以下の原則ではなく、全員で最初から歌います。本文の歌い方は、他のものと同様で、第二唱和を先に
歌った歌隊から歌い始めます。また、本文の旋律、和音は85と同じです。

 交唱の歌い方は、
 1 最初の小節線まで先唱者が歌い、その後は全員で歌う。
 2 歌い始めは、先唱者が歌う。
 二つの方法があります。なお、栄唱の後の繰り返しは、全員で歌います。
 また、復活節の毎日と、四旬節以外の主日には、交唱の最後に「アレルヤ」をつけますが、『典礼聖歌』83の楽譜
にはそれがついていません。84の(同声三部用)をF-Dur(ヘ長調)に移調して付け加えます。
 本文の部分は、基本的には、歌隊を二つに分けて歌います。左右どちらでもよいのですが、基本的には、朝の祈り
の全体の流れで決まります。唱和を交互に歌う基本的な歌い方の場合には、第二歌隊の先唱者が、この交唱の先
唱を行うことになり、先唱者のいる歌隊が1,3,5を、反対の歌隊が2と4を歌い、栄唱は全員で歌います。

 【祈りの注意】
 福音の歌は、朝の祈りと晩の祈りの一つの頂点です。福音朗読は、その日に記念されるキリストの生涯の出来事
として、ミサの中でだけ朗読されます。朝の祈りと晩の祈りでは、「福音朗読を聞くときと同じ荘厳さと品位をもって」
(『教会の祈り』総則137)福音の歌が歌われます。特に、主日の場合、その日の福音朗読を前もって味わうと、福音
の歌の、特に交唱の祈りも深まるでしょう。交唱で、最初だけ先唱者が歌う場合、第二小節目からは全員で歌います
が、交唱は原則として一つの文章ですから、リズムを崩すことなく、上手にバトンを受け継ぎ、続けましょう。
 本文の「ザカリアの預言」は、いずれも音節が多いので、だらだらしないようにきびきびと歌います。歌い方の基本
は、詩編唱と同じですので、「答唱詩編」の項も参考にしてください。二つの歌隊が、ばらばらにならないようにバラン
スをとることも重要です。できれば、ひとつ(ひとり)の人が祈っているように聞こえると、共同体がひとつになっている
証しとなるのではないでしょうか。朝の祈りは、たいていミサの前に行われると思います。ミサ=キリストの到来の前
に、その道を準備する洗礼者ヨハネの誕生によって、神の救いの訪れをまもなく見ることができることを預言したザカ
リアの声にわたしたちの声を合わせて歌いましょう。
 本文で、小節線の前の八分音符が独立して書かれているところは、ことばが書かれているところと「アーメン」の
「ー」があるところ以外は歌いません。

【参考文献】
 『新カトリック大事典』第二巻(研究社 1998 )
 『教会の祈り』(カトリックウ中央協議会 1973 )

 《マリアの歌》
 【解説】
 『典礼聖歌』では、「わたしは神をあがめ」です。
 教会の祈り、晩の祈りの福音の歌として歌われ、"Magnificat" として有名な曲です。ルカ福音書1章47-55節にあ
る、「マリアの賛歌」(『聖書』新共同訳の見出し)であり、身ごもったマリアが、やはり身ごもっていた従姉妹のエリザ
ベトを訪ねた際に、エリザベトのあいさつ(371「しあわせなかたマリア」"Ave Maria"の冒頭)に答えて歌ったのがこ
の賛歌であることは、よく知られたところです。昔から、晩の祈りは教会の祈りで荘厳に挙行されていたことから、
数々の名曲が生まれましたが、典礼本来のあり方からみると、不自然な様式となってゆきました。『典礼聖歌』で
は、典礼本来の流れを重視したものとなっており、音楽的には複雑な様式とはなっていませんが、グレゴリオ聖歌の
それと同じものとなったと言えるでしょう。
 この賛歌は、旧約聖書の思想を集約しており、特に、サムエル記上2章1-10節の「ハンナの歌」に似ていると言わ
れています。これは、いかに聖母マリアが聖書に精通していたか、聖書を深く味わい、生き方、祈り方に反映してい
たかという証しではないしょうか。ちなみに、聖書、特にヨハネ福音書では、ガリラヤの人たちは、ユダヤ地方(旧約
時代の南ユダ)の人々から、聖書のことを知らない無学なものたち、とさげすまれていますが、実際にはまったく逆
で、イエスや使徒たちの時代、有名なラビ(賢者)の三分の二がガリラヤの出身で、倫理上の習慣の遵守も、ガリラ
ヤの人々の方がはるかに高く、ガリラヤがユダヤ教の学問の中心だったことがわかっています。ガリラヤは第二神殿
時代のかなり後期になってからユダヤ人が住むようになった、いわばユダヤ教の新開地で、ユダヤ地方の人々から
見れば、伝統のない地域だったので、このような言い方がされたのでしょう。日本で言えば、江戸時代には中頃、す
でに江戸が文化の中心だったにも関わらす、京都の公家たちが「あずまえびすのおじゃる所」と言ったのと同様で
す。話しがだいぶそれてしましましたが、イエスはもちろん、マリアも、ヨセフも聖書のことは、大変よく知っていたこと
は間違いありません。
 マリアの賛歌もザカリアの歌と同じく、現代まで、聖公会(英国国教会)やルター派をはじめとする一部のプロテスタ
ント教会でも歌われています。
 
 178「わたしは神をあがめ」
 晩の祈りの福音の歌として、共唱(二つの歌隊が交互に)で歌うように作曲されています。交唱の最初の音は、そ
の前の「答唱」の最後の音と4度⇒1度の関係になり、旋律も2度下(答唱F=ファ⇒交唱E=ミ)から始まります。答
唱の旋律は、最低音がC(ド)ですが、これは第一唱和の最低音であるばかりでなく、寝る前の祈りの祝福の旋律の
最低音にも共通しており、教会の祈り全体の関連の中で作曲されていることがわかります。交唱の最後の和音は、
ミサの式次第でよく出てくる「雅楽的な響き」で終わります。本文の旋律は、「神をほめたたえよ」とは反対に、共同祈
願以降の基音である、G(ソ)を中心に、前半は下に、後半は上に動きます。この旋律の音は、また、ミサの式次第の
会衆の歌う音だけでできているのも特徴で、司祭の音B(シ♭)は、調号でも、伴奏でも使われていません。
 復活節の毎日と、四旬節を除く主日の前晩の祈りおよび晩の祈りでは「アレルヤ」をつけますが、「神をほめたたえ
よ」と同様、同声三部用の180の「アレルヤ」を移調して用います。
 179「わたしは神をあがめ」(2)
 これは、待降節第3主日B年の答唱詩編を始めとした、「答唱詩編」などで用いるために作られました。教会の祈り
の「交唱」に対し、こちらは「答唱」となっています。答唱の部分は全員で歌い、「賛歌」本文は、ソロまたはソリで歌い
ます。最初と3の後は「答唱1」を6と栄唱の後は「答唱2」を歌います。
 会食の歌の場合、行列ないし感謝の歌でうたう場合は、こちらをうたいますが、ミサと教会の祈りを合わせて行う場
合の会食の後に歌う「福音の歌」は178を使います。
 180「わたしは神をあがめ」(3)
 84「神をほめたたえよ」(2)と同様に女子修道院で、同声三部で歌うために作られました。

【祈りの注意】
 基本的なことは、「神をほめたたえよ」と同様です。福音=キリストの生涯の出来事の序曲とも言うべき、マリアの
祝福に満ちた喜びをもって、マリアとこころを一つにして歌いましょう。その意味では、この「わたしは神をあがめ」こ
そ、マリアをたたえ、マリアとともに神に賛美と感謝をささげるのに、最もふさわしい歌なのです。
 本文の部分は、ザカリアの歌と異なり、ことばの長さがまちまちです。たとえば、7の最初は26音節ですが、4は
わずかに3音節です。このような場合、音節の長いところは早く歌いますが、音節が少ないところは、かなりゆっくり
歌ったほうが、全体のバランスが取れます。音節の少ない部分を早く歌ってしまうと、あわてて聞こえたり、4を例に
挙げると、「神はー」と「が」が長く伸びすぎて、「やってはいけないこと」になり、なんと言ってもふさわしい祈りになり
ませんから、充分に気をつけてください。
 また、ザカリアの歌と同じく、交唱と本文で、八分音符が独立して書かれているところは、ことばが書かれていると
ころと「アーメン」のように「ー」があるところ以外は歌いません。たとえば、本文の1「わたしは神をあがめ」はすべて
八分音符で歌います。決して「神をあがーめ」とならないようにしましょう。

【参考文献】
『岩波キリスト教辞典』(岩波書店 2002 )
 『教会の祈り』(カトリックウ中央協議会 1973 )
 サミュエル・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』(サンパウロ 1995 )

 《賛美の賛歌》
 【解説】
 367「賛美の賛歌」はラテン語では、冒頭のことばを取って "Te Deum"と呼ばれ、「栄光の賛歌」(ミサ賛歌参照)
と双子の賛歌と言われています。この賛歌の作者は、アウグスティヌスとか、アンブロジウスとの合作、レメシアナの
司教ニケタスなどと伝えられてきましたが、確かなことはわかっていません。現存する最古のテキストは5世紀にさか
のぼります。6世紀のヌルシアのベネディクトゥスの『戒律』にも、この賛歌を主日の徹夜の中で歌うことについて書か
れています。
 賛美の賛歌もザカリアの歌やマリアの歌と同じように、中世になると、歌隊とオルガンのヴェルセットもできてきま
す、しかし、華やかな賛美の性格を持っているところから、次第に、聖務日課(教会の祈り)以外、誓願式や叙階式、
他の信心業でも、また、17世紀以降になると、戦勝記念、王侯貴族の子供の誕生や結婚式などでも歌われるように
なり、編成も、ソリスト・合唱隊・オーケストラといった、大きなものとなってゆきました。
 現在、賛美の賛歌は、四旬節以外のすべての主日、復活節と降誕節の八日間、祭日と祝日に読書の第二朗読後
の答唱の後に歌います。もちろん、感謝の歌として、ミサを始めとするその他の祭儀で用いることもできます。
 367の賛美の賛歌は、教会の祈りの読書で用いるという、賛美の賛歌本来のあり方で作曲されているため、非常
に地味ですが、この賛歌の歌詞を、賛美と感謝の祈りとしてよりよく表現するものとなっています。
 調号は、2♯D-Durと1♭ d-moll の二つがあり、どちらを用いることもできます。2♯D-Duは双子の賛歌と言われ
る栄光の賛歌204と共通で、この賛歌の性格にふさわしいものでしょうか。1♭ d-mollは、調号が教会の祈りの読
書全体と同じですから、全体の流れとしては統一がはかられます。どちらを用いるかは、その共同体の判断ですが、
年間の主日と殉教者の祝祭日は1♭ d-moll、季節と前記以外の祝祭日は2♯D-Durといった使い分けもできるので
はないでしょうか。
 全体は、AとBの二つの部分からできています。全部で12節ありますが、3の倍数3,6,9,12の各節を除く各節がA
の繰り返し、これら4つの節がBという構造です。Aの部分は和音も、旋律の音の動きも2度ないし3度と比較的シン
プルです。それに対し、Bの部分は、ソプラノとバスが2オクターヴ+3度開く、『典礼聖歌』の中では、特有の和音が
多用され、力強く歌われます。

 【祈りの注意】
 賛美の賛歌は、ことばも多く、ひとつの節も長いですから、だらだらしないよう、きびきびと歌いましょう。ただし、賛
美と感謝の祈りですから、ただ早く歌うのではありません。それぞれのことばの内容をよく考えてふさわしい祈りにし
てください。先にも挙げましたが、Bすなわち3,6,9、12の各節は、内容も、音の構成も力強いものとなっています。そ
れにふさわしい壮大な響きとなるよう、ただし、無神経な歌い方にならないようにしてください。このBの部分は、Aと
比べて、いくぶん、わからない程度に、テンポを落とすとよいでしょう。Aの部分の最後も、B最後も rit. して、ていね
いにおさめますが、Aの最後よりもBの方がよりていねいになります。また、12(9で終わる場合は9)の最後は、さら
にていねいにしてください。なお、「ていねいに」というのは、ことばと旋律、和音を祈りとしてふさわしく生かすことで
あって、ただゆっくりするとか、急にテンポが遅くなることとは全く異なります。
 詩編唱などども同じですが、ことばの数、すなわち拍節が多いところはやや早めに歌い、少ないところは、やや遅め
にして、全体の時間的な配分を同じに近づけることで、バランスが取れてきます。
 賛美の賛歌は栄光の賛歌と同様に歌詞が長いので、歌隊(会衆)を二つに分けて歌う方法もあります。どちらでも
よいですが、1,4,7,10を歌う歌隊、2,5,8、11を歌う歌隊に分け、それぞれを担当します。Bの部分は、双方
一緒に歌います。このようにすると、比較的負担が少ないのではないでしょうか。そのときには、福音の歌と同じよう
に、バトンの受け渡しがスムーズに行くように注意しましょう。なお、最初の「すべてのものの主 神よ」を先唱者が歌
い始め、先唱者の側が、続けて1を歌う方法、同じ部分を、栄光の賛歌と同じように、司祭が歌い始める方法なども
あります。
 あまり歌うことのないものですが、賛美と感謝の内容も、祈りの深さも、「知らない」「祈らない」のは、宝の持ち腐れ
といっても過言ではない賛歌ですから、ひとつ、何かの機会に挑戦してください。ただし、ことばと旋律(歌うパート)を
覚えるくらいに歌いこまないと、深い祈りにはならないので、それは覚悟して、神を賛美するために、大いに労苦しよ
うではありませんか。
 
 【歌詞の割り振りの修正について】
 賛美の賛歌の歌詞の割り振り方ですが、作曲者が、『典礼聖歌』合本発行以降に、大幅に変更しました。詳しいこ
とは、高田三郎『典礼聖歌を作曲して』(オリエンス宗教研究所 1992)の286ページをご覧ください。また、『女声合唱
のための 典礼聖歌 雅楽の旋法による聖母賛歌』(サンパウロ 1995)と『混声合唱のための典礼聖歌』(カワイ出
版 2000)には、いずれも、修正された歌詞の割り振りで、付けられた歌詞の楽譜が載っています。なお、典礼聖歌ア
ンサンブルで収録したCD『ミサ-愛の秘跡・感謝の祭儀』でも、修正した割り振りで録音しています。蛇足となるかも
しれませんがここでも、割り振りが修正された箇所を指摘しておくことにします。なお、修正前、修正後、どちらで歌っ
ても間違いではありませんが、修正後をお勧めします。

2=2小節目 ケルビムもセラフィムも ⇒ ケルビムもーセラフィムも
3=1小節目 聖なる主聖なる主 ⇒ 聖なる主ー聖なる主
6=1小節目 栄王に輝くおーう ⇒ 栄光に輝くおーーーう
6=4小節目 ちちのひとーりーご ⇒ ちーちーのーひーとーりーご
8=4小節目 ふたたびこらーれーる ⇒ ふーたーたびこらーれーる
9=3小節目 諸聖人とともーに ⇒ 諸聖人とともーーーに
9=3小節目 諸聖人とともーに ⇒ 諸聖人とともに(最下段)、ーをとる
10=4小節目 みちびいてくーだーさぃ ⇒ みーちーびいてくーだーさぃ
12=4小節目 ゆるがない ⇒ ゆるがなぃ 「なぃ」を最後の四分音符で歌う。「な」を延ばし最後に「ぃ」を軽く添える

【参考文献】
 『新カトリック大事典』第三巻(研究社 2002 )
  『岩波キリスト教辞典』(岩波書店 2002 )
 『教会の祈り』(カトリック中央協議会 1973 )
 高田三郎『典礼聖歌を作曲して』(オリエンス宗教研究所 1992)


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